
水の牙と山の教訓、生き抜くための装備
道具と向き合う、ある日の午後
週3回のリモートワーク日、16時過ぎにコーヒーを淹れようと台所へ向かうと、ベランダから心地いい風が吹き込んできた。
ふと、先月娘が遊びに来たときに燻製を作った道具が、物置の隅できれいに片付けられているのが目に入り、妻の細やかな気配りに少しだけ口元が緩んだ。あの時、古いスモーカーで燻したチーズとベーコンの香りに誘われて起きてきた娘が、「めっちゃ美味しい!」と喜んでくれた温かな記憶が、今も胸に残っている。
そのぬくもりを背中に感じながら、私はリビングに移動し、秋に予定している北アルプス単独行に向けた準備を始めることにした。
25リットルのザックに、ベースウェイト4.2キロのギアを一つひとつ丁寧に詰め直していく。自分の体力を最大限に活かし、難易度の高いルートを単独で走破するための、最新ギアの検証を兼ねたパッキングだ。
「またそんなに減らして、寒くないの?」
通りかかった妻に、呆れ顔で声をかけられた。しかし、その表情がどこか優しかったのが妙に印象に残っている。
高いギアは正直で、命を守る。限界まで無駄を削ぎ落とした4.2キロの装備は、決して無謀の産物ではない。過酷な自然の中で安全に生き抜くための、私の経験と覚悟が詰まった最適解なのだ。
知見を遺す、ということ
山で培った技術や、UL(ウルトラライト)装備の運用ノウハウは、ただ自分一人のものにしておくには惜しい。体が動くうちに行動し、死ぬまで山に登り続けるという決意の一方で、最近の私はこの知見を「デジタルアーカイブ」として体系化し、次世代へ遺すプロジェクトに強い高揚感を覚えている。
まだ進捗としては全体の3%ほど、ようやく最初の一歩を踏み出した段階に過ぎない。しかし、若年層やシニア層の誰もが安全に旅を楽しめるよう、高機能かつ軽量な山行のノウハウを言語化していく作業は、自らが山に挑むことと同等の価値があると感じている。
目標と覚悟を明文化することは、過酷な挑戦における意志を強固にする。それは山だけでなく、今回の寝屋川の氾濫危険警報のような、日常を脅かす災害への備えにも通じるはずだ。
外はすっかり暗くなった。淹れたてのコーヒーを口に含みながら、秋の紅葉シーズンに挑む険しい尾根のルートを思い描く。確かな道具と、揺るぎない意志を持って、私はこれからも自然の懐へと歩みを進めていく。