
白いページへの恐怖を消す、汚いノートのすすめ
真っ白な手帳を前にすると、なぜか指先がすくんでしまう。あの独特のプレッシャーの正体について、少し考えてみたのです。
真夜中の机の上の静かな焦燥
雨の音が静かに響く真夜中の部屋で、私は机に向かっています。目の前にあるのは、まだ数ページしか埋まっていない、少し上質な海外製の手帳です。
「我正在學中文(私は今、中国語を学んでいる)」
脳内でそんな言葉をつぶやきながら万年筆を握るものの、最初の一文字がなかなか書けません。せっかく買った美しいノートを、自分の不格好な文字で汚したくないという、かすかな息苦しさが部屋の空気に混ざり合います。
タイムラインに咲く丁寧な暮らし
スマートフォンをスクロールすると、SNSには綺麗に色分けされた「バレットジャーナル」や、整理されたノートの画像があふれています。それらを目にするたび、自分の手元にある白紙のページが、まるで継続力のなさを責める staging(舞台)のように思えてくるのです。
本来は自分の思考を整理するための自由な場所だったはずなのに、いつの間にか「毎日きれいに書かなければならない」という無言のタスクに変わっていました。他人の目を意識した美意識が、無意識のうちに自分へのプレッシャーと劣等感を植え付けていたのかもしれません。
簡体字の歪みと主客転倒の罠
意を決して万年筆を走らせてみると、線の多い漢字や慣れない簡体字(中国語の簡略化された漢字)が、紙に引っかかります。お世辞にも美しいとは言えない、歪んだ文字の並び。
かつて、ノートの白紙が増えるたびに「また続けられなかった」と深い罪悪感を抱いていました。しかし、その原因は私の意志の弱さではなく、「綺麗なノートを作ること」自体が目的になっていた、という主客転倒の罠にあったのだと気づかされます。
汚れた余白で思考を動かす
インクが滲み、間違えてバツ線で消された無骨な文字。それらが並ぶノートは、決してSNSで「映える」ものではありません。
ですが、ノートは鑑賞するための作品ではなく、脳の拡張領域であるはずです。なめらかな日本語の秩序を一度捨てて、文法が間違っていようが文字が汚かろうが、今の感情を新しい言語で吐き出す。その泥臭い余白こそが、本当に思考が動いている証拠なのだと思えてきました。
完璧に書こうとする自意識から解放されたとき、ようやくノートが本当の自分の居場所になるのかもしれません。今後もこの、文字を書くことと新しい言語との向き合い方について、自分なりの変化をチェックしていきたいと考えています。
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