
味のしない味噌汁と介護の夜
毎晩、母の介護が終わってから台所に立つと、どっと疲労感が押し寄せてくる。
食卓を囲む夫とは会話もほとんどなく、ただスプーンが皿にあたる音だけが響く。
自分の時間なんてとっくに消えて、私はただ家事と介護を回すだけの機械みたいになっていた。
週末のキャンプの準備も、今や楽しみどころか前日夜から憂鬱になる重労働だった。
何を作るか考え、買い出しに行き、荷物をまとめるだけでヘトヘトになる。
こんな生活のどこにときめきがあるのかと、ふと溜息が漏れる夜が増えていた。
あの人に褒められた、あの夜のこと
そんな私がレシピノートなんて大層なものを作り始めたのは、ある人から掛けられた一言がきっかけだった。
少し前のキャンプ場、焚き火のそばで手際よく料理を振る舞っていたとき、その年下の男性に「手際がいいですね」と不意に褒められたのだ。
ただそれだけの言葉なのに、胸の奥が妙にざわついたのを覚えている。
夫以外の男性から、そんなふうに見てもらえたことが何年ぶりだっただろう。
「家族のため」といういつもの建前の裏で、実はずっと「彼にもっと褒められたい」「また会う時間をスムーズに作りたい」という欲望が芽生えていた。
その夜、寝息を立てる夫の隣で、私は自分の隠した本音に気づいて少し怖くなった。
無印のケースに、秘密を詰めて
それからの私は、驚くほど綿密に準備を進めるようになった。
まず用意したのは、無印良品のパスポートケース(税込1,490円)だ。
これを耐水性のユポ紙を使った自作のレシピノートの防水カバーとして使うことにした。
雨が降っても油が飛んでも、文字がにじまないようにしたかったのだ。
調味料はダイソーの15mlミニボトルに細かく小分けし、荷物の総重量を300g以下にまで削ぎ落とした。
食材は自宅で完全にカットしてジップロックで下味まで済ませ、総額3,500円以内に収まるように徹底した。
現地での調理時間を18分以内に抑えられれば、その分だけ「彼」とゆっくり話せる時間が生まれるからだ。
自宅で9割の下準備を終えた方が、火加減の失敗もなくて実際に美味しく仕上がるという発見もあった。
浮いた25分で、何を考えていたか
実際に迎えた週末のキャンプでは、準備から実食までがわずか25分で完結した。
「美味しいね」と笑う家族の向こう側で、私の頭の中はすっかり別の場所にあった。
効率化できたお陰で生まれた余白の時間に、私は心の中でそっと彼の笑顔を思い浮かべていた。
家族のために動いているはずなのに、私の心はすっかり家庭の外を向いている。
こんな背徳感を抱えたまま、このキャンプをあと何回続けられるのだろうか。
手際よく仕込んだレシピノートのページをめくるたび、胸の奥のざわめきは消えないまま、次の週末が待ち遠しくなっている。
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