かつては「毎日アプリを開けば、きっと良い出会いがある」と信じて、ひたすら画面を眺めていました。けれど、渾身のプロフィールやメッセージを送っても、期待した反応はなかなか得られません。疲弊しきって、ある日、思い切ってアプリを開くのをやめました。その瞬間、罪悪感と同時に、どこかホッとする自分がいたのを覚えています。
ベランダの植物に水をやりながら、ふと空を見上げます。変わりゆく季節の匂いがして、デジタルの世界から離れた身体感覚が、少しだけ私を落ち着かせてくれました。
誰かの視線は、心の温度
「承認欲求」というと、どこかネガティブな響きがあるかもしれません。でも、誰かに認められたい、理解されたいという気持ちは、人間としてごく自然なことだと、最近は思えるようになりました。それは、他者との繋がりを求める、純粋な願いなのだと。
あの頃の私は、マッチングアプリの「いいね」の数を、そのまま自分の価値だと錯覚していました。けれど、それは本当にそうなのでしょうか。
火曜と木曜の夜、少しだけアプリを開く時間を作りました。毎日ではなく、週に2回。そう決めてから、メッセージのやり取りも、以前より丁寧に、そして相手の「反応の熱量」をじっくりと感じ取るようになりました。
ある男性とメッセージを重ねた時、彼は私の仕事の話に深く興味を示し、週末に会う約束をしてくれました。画面の向こうの数字ではなく、言葉のやり取りから伝わる「温度」が、私には何よりも嬉しかったのです。
「100人中99人」が通り過ぎた私
プロフィール写真や自己紹介文を工夫するたびに、心の中ではいつもためらいがありました。「こんな言葉が、本当に誰かの心に刺さるのだろうか」という不安。まるで、何万とある記事の中から、たった一人に読んでもらうためにタイトルを考えるようなものです。
以前、プロフィールに「50代で、これからの人生を共に歩む人を探しています。100人中99人が見落とすかもしれないけれど、残りの1人に出会いたい」と書き加えたことがあります。少し大袈裟かとも思いましたが、自分の切実な想いを込めたラブレターでした。
すると、ある日、メッセージが届きました。「その一文に惹かれました。私も同じ気持ちです」と。その言葉を読んだ時、心が震えるような安らぎを感じました。数字だけでは測れない、確かな繋がりがそこにはありました。
余談ですが、最近SNSで昔の友人が海外旅行の写真を上げていて、少し羨ましく感じたんです。でも、旅先で一人で写真を撮る友人の姿を見て、私も誰かと分かち合える瞬間が欲しいんだな、と改めて思いました。
形ない不安を、真剣な関係という船で
出会いを重ねる中で、私自身の心にも変化がありました。最初は「老後の安心感」を求めていた部分も正直あります。けれど、何度か食事をしたり、美術館に行ったりするうちに、相手の人柄や考え方に触れ、純粋な「恋愛感情」が芽生え始めていることに気づきました。
真剣な関係を求めることは、自分の価値を相手に問うようなもので、やはり不安が伴います。まるで、自分が書いた記事に「価格」をつける時のように、指先が震えるような感覚です。
先日、アプリで出会った方と、お互いの家族のこと、仕事のこと、そして将来のことについて、深く話し合う機会がありました。彼は、私が今まで抱えてきた葛藤や、これから挑戦したいと思っているロボティクスプロジェクト(物理的なものづくりへの渇望と、デジタルの世界での承認欲求の間で揺れる私にとって、これは大切な『武器』なんです)についても、真剣に耳を傾けてくれました。
「アリスさんの話を聞いていると、とても勇気をもらえます」
その言葉は、金銭では買えない、確かな承認でした。彼との出会いを通じて、私は、デジタルな繋がりだけでなく、実際に身体感覚で触れ合える関係の中にこそ、真の承認欲求を満たす力があるのだと、静かに確信しています。
数字に一喜一憂する日々は、もう終わりです。これからは、誰かの「いいね」という数字を、自分を客観視するための「対話の道具」として使いながら、等身大の自分を受け入れ、小さな一歩を踏み出していこうと思います。この後半生を共に歩む人との出会いは、きっと、その先にあるのでしょう。
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