
「私の彼」と呼ぶ既婚女性の痛さと、東京サバイバルのリアル
「ええ年こいた既婚女性が、ネットで『私の彼氏』とか言っているのが本当にキモい」
その場にいた男たちの意見は、驚くほど一致していた。いい歳をして「恋愛ごっこ」に狂っている姿が滑稽だとか、都合のいい言葉で実態をオブラートに包んでいるだけだとか、容赦のない言葉が並ぶ。中には、「セフレとは書けないから言葉を和らげているだけ。付き合ってあげればヤレるから合わせてる」という、冷徹極まりない本音まで飛び出していた。
独身で、会社員をやりながら自分の力で生き抜こうともがいている私の目には、この光景が今の東京の縮図のようにはっきりと映った。
既婚の「恋愛ごっこ」に冷や水を浴びせる男たちの本音
結婚して家庭がありながら、わざわざネットの海に飛び込んで「彼氏」を探し、「私の彼は〜」と惚気ている女性たち。男性側の視線は、彼女たちが期待しているような「純愛の相手」では決してない。むしろ、その寂しさや承認欲求を見透かされ、格好のターゲットにされているのが現実だ。
厳しい言い方をすれば、男たちにとって彼女たちは「手軽に消費できる存在」でしかない。
女性側は「一人の女性として愛されたい」「トキメキが欲しい」とロマンチックな幻想を抱いているのかもしれないけれど、男側の本音は「寂しさを紛らわせたいだけの、扱いやすい女」。この決定的な温度差に気づかないまま、ええ歳をして「彼氏彼女」という言葉にしがみついている姿が、周囲に猛烈な違和感と「キモさ」を与えてしまうのだと思う。
承認欲求は生存本能。でも「穴モテ」の空虚さはただの毒
私は、SNSの裏側にこそ人間の本音があると思っているし、誰かに認められたいという承認欲求を否定するつもりは毛頭ない。それは弱さではなく、人間が現代社会を生き抜くためのしぶとい生存本能だからだ。
だけど、その欲求を満たす方向性を間違えると、一気に足元をすくわれる。
ネットの世界には、中身や人間性なんてどうでもよくて、単に「都合の良い性的対象」として群がってくる男たちが一定数いる。いわゆる「穴モテ」と呼ばれる現象だ。ちやほやされている間は、自分がまるで特別な存在になったかのような錯覚に陥るかもしれない。でもそれは、ただの歪んだ需要だ。
自分の市場価値が上がったわけでも、本当の意味で満たされたわけでもない。そこに依存し始めると、自分の娘や息子と同世代の若者と張り合うような、痛々しいサバイバルに突入していくことになる。
自分の武器を知り、歪んだ需要と正しく距離を置く
東京という街で、誰の力にも頼らずに自分の名前で生き残っていくためには、自分の「本当の武器」が何であるかを正確に知る必要がある。
それは、誰かから与えられる一時的な優しさや、ネット上の甘い言葉ではない。自分自身のスキルであり、市場で正当に評価される価値だ。
既婚女性が「彼氏」という言葉を使って必死に埋めようとしている孤独や寂しさは、誰か他の男によって根本的に解決されることはない。男たちの冷酷な本音を知ってなお、その恋愛ごっこに身を投じるのは、あまりにもリスクが高すぎる。
他人の評価や都合のいい需要に振り回される時間は、私にはない。SNSのフォロワーたちの動向を分析していても思うけれど、本当に響くのは「誰かに依存する姿」ではなく、「自分の足で立とうとする意志」だ。
甘い幻想の裏にある男たちの本音を冷静に見極め、私は私自身の力で、この東京をサバイブしていくための基盤を確実に作っていきたい。