西口徒歩3分、覚悟を決めるまで
阪急十三駅の西口を出て徒歩3分。それが大平食堂までの距離だ。近いのに、その3分がやたら長く感じた。
引き戸の向こうから聞こえる笑い声と換気扇の音。ガラス越しに見えるカウンターは常連らしき人でほぼ埋まっていて、一瞬「今日はやめとこうか」と足が止まった。でも赤星の大びんが飲める店を探して何軒も検索していた身としては、ここで引き返す方が悔しい。意を決して戸を引いた。
創業1969年の暖簾、赤星大びんで一息
大平食堂は創業1969年。もうすぐ還暦を迎える食堂だ。カウンターに座ると、店主は特に構えることもなく「ビールでええ?」と一言。この距離感がありがたい。
頼んだのはサッポロラガービール、通称赤星の大びん。650円。多くの店で置いているのは小びんばかりで、大びんを常時扱う店は全体の3%程度と言われている。だから見つけた時点でもう勝ちなのだ。
熱処理ならではの麦の苦味がしっかりしていて、キンキンに冷えたグラスに注ぐと泡が細かく立つ。18時台の混雑する時間帯でも、案内から着席まで体感5分もかからなかった。カウンター中心で回転が速いからだろう。
卵3個、片栗粉なしのだし巻きに驚く
そして本命、名物だし巻き450円。厨房を覗くと、店主が銅鍋を小刻みに振りながら卵液を巻いていく。片栗粉は使っていないという。卵3個だけで、あの分厚い形を保形しているのが不思議だった。
一口目、断面から出汁がじわっと染み出してくる。水分をこれでもかと含んでいるのに、崩れずに箸で持ち上がる。利尻昆布と本ガツオで毎朝引いているという出汁の香りが、卵の甘みの奥からふわっと来る。
赤星のグラスをもう一口。麦の苦味がだしの甘さを一度リセットしてくれるので、また次の一切れに箸が伸びる。この繰り返しが、ちょっと病みつきになる感覚だった。だし巻き450円、赤星大びん650円で合計1,100円。1,000円台でここまで満足できるのは、正直チェーン店では味わえない。
隣の常連客が話しかけてきた夜
だし巻きを半分ほど食べ進めた頃、隣に座っていた常連らしきおじさんが「兄ちゃん、それ美味いやろ」と声をかけてきた。最初は戸惑ったが、店の歴史や店主の人柄をひとしきり教えてもらい、気づけば世間話に混ざっていた。
後で店主に聞くと、一見客に常連が話しかけるのはほぼ毎回のことらしい。体感で9割以上は誰かしら声をかけてくるという。「十三は治安が心配」というイメージを持っていた自分が、1時間後には笑い声の輪に入っていたのだから、この落差はちゃんと書いておきたい。
ただ正直に言うと、静かに一人で黙々と飲みたい人には、この距離の近さは向かない。話しかけられるのが苦手なら、混雑を避けた開店直後の時間を選ぶのが無難だ。逆に、下町の人情に触れたい人、初めての土地で誰かと話したい気分の夜には、これ以上ない一軒だと思う。
会計は税込1,100円。財布への負担もかなり軽い。十三のディープな暖簾に身構えていたあの数分は、正直もう必要ないと分かった。次にこの街を歩くときは、迷わずまたこの引き戸を開けるつもりだ。
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