UL装備の継承:紅葉の秋へ

肩の荷を降ろした時、五山の向こうから冷たい風が吹いた

この前、夏の縦走から帰ってきた時に鏡を見たんやけど、自分の顔がひどく疲れていてな。重たいザックに肩を食い込ませて、ただひたすらに歩くことに集中しすぎて、結局「何のために山に来てるんやろ」って自問自答してしもた。

歩くことが目的の「作業」になってもて、山の空気を感じる余裕なんて残ってへんかったんや。それで、秋はもっと軽やかに、自分の足で風を切るような山行がしたいって強く思うようになったんよ。

キッチンスケールの上で削ぎ落とす、大人の我が儘と執着

夜、リビングのテーブルで愛用の道具を広げてみた。一つひとつ秤に乗せるこの時間が、なんとも言えん緊張感があってええんよ。

秋の山は甘くない。寒暖差があるから、ただ軽くすればええってもんやないねん。薄手のシェルに、コンパクトに畳めるアクティブインサレーション。これらをどう組み合わせれば、安全かつ最小限で凌げるか。このレイヤリングの計算こそが、おっちゃんの登山における最大の「知的な遊び」なんやわ。

高い道具を揃えるんじゃなくて、手持ちのものをどう工夫して削るか。結局、一番正直なのは自分の知恵やからな。

身軽になった身体を滑り込ませる、燃えるような静寂の森

先週、少し早めの紅葉を求めて静かな尾根道を歩いてきた。装備を削ぎ落とした身体は、驚くほど軽くて息も乱れへん。以前なら苦しくて見落としていたかもしれない、木々の隙間から差し込む光の筋や、足元に積もった落ち葉の色まで鮮明に見えてな。

あえてその場で立ち止まり、ただ風の音を聞く。 この「停滞の贅沢」を味わえるようになったのは、荷物を減らして心の余裕が生まれたからやと思う。重いザックで自分を追い込んでいた頃には気づけへんかった、紅葉の圧倒的な静寂に包まれる感覚やったわ。

足るを知る山路の果てに、ファインダーが捉えたもの

下山して撮った写真を確認したんやけど、自分の目で見たあの時の空気がそのまま写り込んでいるような気がした。結局のところ、荷物を減らすってことは、自分にとって何が本当に大切かを決める作業なんやね。

「足るを知る」。言葉にすると簡単やけど、実際に山でそれを体感するのは難しい。でも、今の身軽なスタイルなら、これからも長く山と付き合っていける気がするで。

さて、次はどこへ行こうか。皆さんはこの秋、どんなスタイルで山と向き合うつもりやろか。

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