
気がつけば、もう50代手前。目の前のタスクをこなす毎日の中で、一体「私」という存在はどこへ行ってしまったのだろう。そんな漠然とした不安が、胸の奥で常にくすぶっているのです。
あの頃の私なら…40代の残像が、私を嗤う
少し前にネットで「40代 主婦 悩み 解決」なんて記事を見かけました。ああ、40代の頃の私なら、きっと食い入るように読んだことでしょう。子育ての忙しさに追われ、夫婦関係に漠然とした不満を抱え、自分の時間が持てないことに焦っていたあの頃。漠然とした不安を抱えつつも、どこかで「いつか解決する」「いつか自分の時間が持てる」と信じていた気がします。
でも、どうでしょう。50代になった今、子育ては一段落し、確かに物理的な時間は増えました。でも、今度は親の介護という、もっと重い現実がのしかかっています。40代の頃に抱えていた「このままでいいのか」という問いは、形を変えて今も私を追いかけてくる。あの頃の私なら、もっとがむしゃらに何かを探し求めていたはずなのに、今の私は、その熱量すら失ってしまったような気がして、過去の自分に嗤われているような気分になります。
『母親』と『妻』の仮面の下で、私はまだ『女』でいたいのか?
母の介護が始まってから、私の生活は一変しました。週に3回は実家へ通い、ヘルパーさんとの連携、病院の付き添い。身体的な疲れはもちろん、精神的な負担も相当なものです。母は少しずつ私への依存度を高め、私は「娘」であり「介護者」であるという役割に、がんじがらめになっているような感覚に陥ります。
夫との関係も、もうずいぶん前から「同志」のようなものです。言葉を交わすのは、生活に必要な連絡事項がほとんど。かつてのようなときめきも、情熱も、もうどこかへ置き忘れてきてしまいました。鏡に映る自分の顔を見るたびに、シミやシワが増え、疲れが滲むその姿に、「女」としての自分はもういないのかと、寂しさが募ります。それでも、心の奥底では、誰かに「まだ女だよ」と言ってほしい、そんな秘めたる欲望が、時折顔を出すのです。こんな感情、誰にも言えません。
鏡の中の私に問う。『この先、私はどこへ行く?』
洗面所の鏡に映る自分を見つめます。疲れた顔の奥に、まだ何かを求めている自分がいる。それは、かつて40代で探し求めていた「解決策」とは違う、もっと根源的な「私」という存在の肯定なのかもしれません。
母の介護、夫との関係、そして自分自身の老い。どれもが現実としてそこにある。完璧な解決策なんて、どこにもないのかもしれません。でも、このまま終わるのは嫌だ。漠然とした不安と、それでも何かを掴みたいという微かな意志が、私の中でせめぎ合っています。まずは、週に2回のジム通いを定着させること。自分の体力を維持することが、この先の人生を生き抜くための、一番小さな一歩だと信じています。この先、私はどこへ行くのだろう。まだ、答えは見つかりません。
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