
真夜中の耳鳴りと乾いた頁
開いた本の文字は、私の目の前で滑っていく。活字を追っているはずなのに、内容が頭に染み込むことはなく、ただ目でなぞっているだけ。枕元に置いたデジタル時計の数字が、刻々と変わっていくのを見るたびに、小さな焦燥感が募る。
「読書を習慣にしたい」そう思って手にしたはずなのに、義務のように感じてしまっている。家族の新しい生活リズムを整えようと日々奮闘しているからか、夜になっても私の脳は休まらず、まるで耳鳴りのように、ジリジリと鳴り続けているような感覚に陥ることが増えた。
ラジオが運んだ、優しいノイズ
そんなある夜、いつものように眠りにつけず、何気なくスマホでニュースを眺めていたときのこと。耳慣れない言葉が目に飛び込んできた。千葉音声研究所の村岡睦稔さんという方が、「赤ちゃんがすぐ寝る音楽」を開発したという記事だ。
驚いたのは、村岡さんの普段の仕事。なんと、裁判で証拠となる音声の鑑定、つまり事件や事故の録音といった、非常に張り詰めた音の世界に身を置くプロフェッショナルなのだという。その方が、育児に悩む親のために、波打ち際のようなノイズとオルゴールの音色が14分間続く音楽を作ったという事実に、私は言葉を失った。
公開からわずか2週間で35万回アクセスという反響も、その効果を物語っている。張り詰めた世界と、最も無垢で制御不能な存在である赤ちゃん。その対照的な二つが、優しい音で結びついていることに、じんわりと胸が熱くなった。
「30分だけでも休みたい」という祈り
記事の中にあった、村岡さんの言葉が忘れられない。「30分でも休みたい。そんな親御さんや、保育園などで広く使ってほしい」。その言葉は、まるで私自身の心に語りかけられているようだった。
私自身、家族の新たな日常を安定させるため、そして個人プロジェクトの効率化や自動化を進めるために、常に「完璧でなければ」と自分を追い詰めていたことに気づかされた。日々のタスクをこなし、目標に向かって進むことばかり考えて、肝心の自分自身の心身が「調律」を必要としていることを見落としていたのだ。
「全ての赤ちゃんに効くわけではない」という、開発者の村岡さんの言葉にある、完璧を求めない誠実さも、私には大きな救いだった。無理に完璧を求めず、ただ「30分だけでも休む」というシンプルな願いに寄り添う姿勢。休むことは甘えではない。むしろ、前に進むために必要な「調律」なのだと、深く納得した。
脳を調律する、私だけの静かな儀式
あのニュース以来、私の夜の過ごし方は少しだけ変わった。無理に活字を追おうとはせず、まずは静かな音に身を委ねる時間を大切にしている。
窓を開けて、夜の風が運ぶ木々の囁きや、遠くで聞こえる車の音、虫の声に耳を傾けたり、心地よいオルゴールを小さく流したり。そして、強迫観念としての読書ではなく、脳を緩めるための読書へ。文字を追うことよりも、物語の世界にただ浸ることを優先する。
村岡さんの音楽は6月末までの公開期限があるらしい。その「期限」が、私に「今この瞬間の自分を労わる」大切さを教えてくれたような気がする。ゆっくりと部屋の明かりを落とし、温かい毛布にくるまる。深い安堵感と、明日への穏やかな期待が、私を満たしていく。これからも、この「音」と「読書」が織りなす静かな調律を、大切にしていきたいと心から思う。
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