昔は、出会いって言えば合コンや友達の紹介、職場の飲み会、あとは地域のイベントとか、いろんな選択肢がありましたよね。でもここ数年、私の周りでも、友人知人の会話でも、「出会い」って言葉が指すものが、ほとんど一つの形に収束しちゃってる気がするんです。そう、マッチングアプリとか、それに類するSNS上の仕組みのこと。
特に若い世代ほど、この傾向は顕著で、「出会いはアプリで探すもの」っていうのが、もはや当たり前の常識になりつつあります。この状況が、なんだか静かに私たちの出会いを「崩壊」させているんじゃないかって、ちょっと心配になるんです。
アプリ依存の落とし穴
マッチングサービスが、あくまで選択肢の一つとして便利に使われているうちは、本当に素晴らしいツールだと思います。でも、それが唯一のチャネルになった瞬間、途端に「依存」が生まれてしまう。
アプリを開かなければ何も始まらない。通知が来なければ承認欲求が満たされない。そして、スワイプの数だけが自分の市場価値を可視化する数字になる。こんな感覚に、若い利用者ほど飲み込まれやすいのを感じます。
恋愛や結婚という、個人の人生の重大事が、少数のプラットフォームの設計思想とアルゴリズムに委ねられている現状は、かなり危ういと思うんです。
例えば、ある友人は、アプリに月額3,000円〜5,000円を数年間払い続けています。彼女は「もうアプリがないと出会えない」と嘆いているけど、実際に会うのは月に1〜2人。しかも、その出会いも「いいね」の数やメッセージのやり取りで疲れ果ててしまうって言っていました。これは、本当に彼女が望む出会いなのかな、って。
日常のささやかな発見
そういえば、この前、ベランダの植物に水をやっていた時のこと。小さな芽が出てきているのを見つけて、なんだかホッとしました。日々の生活の中で、こういうささやかな発見って、すごく大事だなって。スマホの通知に振り回されずに、自分のペースでゆっくりと育っていくものを見ていると、心も落ち着きますよね。
余談だけど、最近スーパーで期間限定の「とろけるチーズケーキ」を見つけて、ついつい買ってしまったんです。こういうちょっとした贅沢って、日々のモチベーションになるなあって。出会いの話とは全然関係ないけど、こういう「自分を満たす」瞬間って、アプリの「いいね」とはまた違う、本質的な喜びがある気がします。
既婚者パーティーの裏側
そして、この「一極化」の波は、独身者だけの話じゃないんです。私自身、いわゆる既婚者向けの出会いの場に何度か足を運んだ経験があります。そこで見えてきたのは、独身者向けのマッチング市場だけでなく、既婚者を対象にした出会いの場もまた急速に一つの形式――アプリやパーティーという商業的なフォーマット――に収斂しているという事実でした。
昔は水面下でひっそりと存在していたものが、今やビジネスとして整備され、参加費を払えば誰でもアクセスできる「市場」になっている。
ある既婚者向けパーティーに参加した時のことですが、男性は8,000円、女性は2,000円くらいの参加費でした。正直、その金額設定に驚きました。それだけ需要があるということなんでしょうね。
そこで話した人は「アプリだと顔が見えないから不安で、対面イベントの方が安心できる」と言っていました。でも、結局これも「商業的な場」に依存していることに変わりはないんですよね。
選択肢が奪われる危うさ
出会いの一極化は、選択肢を狭めると同時に、その狭い場所に人を集中させ、需要と供給の歪みを増幅させます。本来、多様であるべき人間の営みが、特定のプラットフォームのアルゴリズムや、事業者の収益構造に最適化された形でしか存在できなくなる。
これは、私たちの「出会う力」そのものを奪っているのかもしれません。
本当に大切な出会いは、アルゴリズムが弾き出す数値だけでは測れないはずです。
私たちは、この「出会いの一極化」という静かな崩壊に、どう向き合っていけばいいのでしょうか。もしあなたが、この状況について何か思うことがあれば、ぜひ聞かせてください。
次回は、この既婚者マッチングという、規制の外側で静かに拡大しているグレーゾーンの実態について、もう少し踏み込んで書いてみたいと思います。
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