The art of being wise is the art of knowing what to overlook.
賢明であるための極意とは、何を無視すべきかを知ることにある。
朝からずっと、ひとつの英文が頭の中でループしている。
"The art of being wise is the art of knowing what to overlook."
19世紀の心理学者、ウィリアム・ジェームズの言葉だ。
これ、めちゃくちゃ格好いいんだけど、日本語にしようとした途端、急にダサくなるのはなぜなんだろう。
名言集なんかでよく見る「賢明であることの芸術とは、何を見過ごすべきかを知ることの芸術である」という訳。
うーん。
なんだか、急に説教臭い。
「芸術」って言われると、急に額縁に入れて飾らなきゃいけないような重さを感じるけど、英語の "art" はもっと軽やかで、熟練した職人の「身のこなし」に近いニュアンスっぽい。
💡 ファクトチェック
ジェームズの主著『心理学の原理』(1890年)では、人間の意識は「選択的」なものとして描かれている。何かに注意を向けることは、同時に「他の何かを無視すること」でもあるらしい。100年以上前から、この問題は指摘されていたわけだ。
問題は "overlook" の方だ。
日本語で「見逃す」とか「目をつぶる」って言うと、なんだか「本当はダメなんだけど、今回は特別に……」みたいな、ちょっとネガティブな妥協の匂いがする。
でも、ジェームズが言いたいのは「積極的に、賢く、スルーする」ってことなんだと思う。
最近のスマホの通知とか、SNSのタイムラインを見ていると、この「スルーする技術」の価値が暴騰している気がする。
「賢くなるコツは、何に反応しないかを知ることだ」
……いや、これだとまだ言葉が硬いか。
「賢さのセンスって、何をシカトするかで決まるんだよ」
……これだとちょっと口が悪い。笑
この名言が日本人に刺さりにくいのは、僕たちが「全部を真面目に受け取る」ことを美徳としすぎているからなのかもしれない。
「細部まで気を配る」のは素晴らしいことだけど、それって裏を返せば、どうでもいいことにエネルギーを奪われ続けている状態とも言えるわけで。
「完璧主義」の罠にハマっているときほど、この "overlook" という言葉の優雅さが、遠くに見える。
そもそも、日本語には「ポジティブに無視する」という概念そのものが欠けているんだろうか?
最初は「訳せないのは語彙の問題」だと思ったけど、もしかしたら「生き方のスタンス」の問題なのかもしれない。
まだ、しっくりくる訳は見つかっていない。
でも、とりあえず今日は、届いたメールの半分くらいを「あえて見逃して」みることにした。
それが "art" になるのか、ただの怠慢になるのかは、まだよく分からないけれど。
📚 参考・関連記事
- ウィリアム・ジェームズ - Wikipedia — 名言の主である哲学者・心理学者の生涯と、彼の思想の根幹であるプラグマティズムについて体系的に理解できます。
- William James (Stanford Encyclopedia of Philosophy) — 名言の出典である『心理学の原理』を含む、ジェームズの「意識の選択的注意」に関する学術的背景を詳しく知るための世界的な資料です。
- 脳の「情報選択」の仕組みを解明 - 理化学研究所 — 「何を無視するか」という脳の機能的側面について、現代の脳科学の視点から記事のテーマを裏付ける最新の研究成果を確認できます。